35歳独身女が次の道にたどりつくまで

35歳独身女が13年勤めた会社を行先も決めずに退職。退職後なにをしていたのか、日々なにを感じてるのか。ただただ書いていくブログです。

成功する近道は自分を失うかもしれないこと

「私もさ、ずっと飲食店やってるんだけど、赤字続きでどうしたらいいかわからない時にこのセミナーに行ったんだよね」
とある会で、ちゃきちゃきした女性が私に声をかけてきた。
「え。なに? セミナー? 宗教じゃね?」
声には出さなかったが顔には出ていたのだろう。すかさずこう言った。
「宗教とかそういうのじゃないの。迷っていたことがはっきりするっていうか。同じように自分は何をしたいのか見つからないって言ってた子もこのセミナー参加して今バリバリ楽しくやってるんだよ」
聞けば、その女性は有名飲食店おすすめサイトで4.5という高評価のお店のオーナーだった。
たしかに、イキイキしていてエネルギッシュ。日曜でもスタッフに任せられるくらいにお店もうまくいっているようだった。

「いいなぁ」
素直にそう思った。
私は無職で35歳で独身でさらに彼氏もいない。なにもない。
しかし、その女性はセミナーに行ってからいいこと尽くしだという。
お店は黒字続きだし、スタッフは辞めないし、有名人は来るし、全国誌で紹介はされるし。
さらに結婚して子どもも産んだという。
セミナーに行く前には思い描いていなかったことが次々と起こったというから、まるで魔法だ。
実際に私の目から見ても、その女性はキラキラとして魔法がかかったように見えた。

だから実際どんなもんか、見てみようと思った。
ちょうどお試しというか説明会なるものがあるというから、参加してみることにした。
参加費用は3000円。
まぁお試しにはちょうどいい金額だ。
無料じゃないからなにか得られるものもあるだろう。

そして、当日。
誘ってくれたちゃきちゃきした女性とともに大手銀行が立ち並ぶ駅から徒歩数分。会場となる建物へ入った。
「ここって事務所なんですか?」
事務所とは思えないから聞いた。
セミナーの本番もここでやるんですか?」
閉鎖的な建物に若干の不安を感じて質問を重ねた。
「そうだね、だいたいこの建物だよ」
しっくりはっきりこない返事だった。
エレベーターの扉が開くと、だれもいなかった。
どうやらこの日はそのセミナーでしか使用されないフロアのようだ。
「最近は仕事探しというか、どう? 状況的に。なにか見つかった?」
この説明会へ参加する意義を再確認できるようにと思ったのか、それとも雑談なのか。
「そうですねー。なんか色々考えているうちになにをやりたいのかわからなくなってきちゃって」
私はこの説明会に参加して3000円で糸口を掴んでやろうとしていた。
「そうなんだー。それだったらいいよ今回! やりたいこと見つかったり進む道見つかったって人多いから」
期待は膨らんでいた。

しばらく待っていると、「どうもー!」と1人これまたちゃきちゃきした女性がエレベーターから降りてきた。
どうやらセミナーで知り合った仲らしく、その女性もまた、このセミナーでビジネスが軌道に乗ったという1人だった。
激しい色のワンピースを着ていた。
そこにかなり若い女性が後ろいくっついてきていた。
美人だけれど、人と話すのは苦手そうな感じ。その女性に紹介されて参加しに来たらしい。私と一緒だ。

そうこうしているうちに、セミナー会場がにぎやかになってきた。
いつのまにかスタッフがいたらしい。
名前を伝え、3000円払う。
リストを覗くと参加者は10名ちょっと。思ったより少ない。
それに、私と先の若い女性以外は全員知り合いで何度かセミナーで一緒になっている人ばかりだった。

「いいねーそのワンピース」
「元気そうだね」
なんて普通の会話がされている。

そこへセミナーの講師がやってきた。
「じゃあみなさん挨拶しましょう!」
というと、一瞬で空気が変わった。
「どうも! 〇〇です。よろしくお願いします!」
ひとり、またひとりと、私に向かって右手を差し出しながら声をかけてくる。
「あ……はい。どうも。〇〇です。よろしくお願いします」
なんとか口角を上げようと必死になりながら、私も右手を差し出し、握手する。
近い。距離が近い。
全員とそれを行うと、「はーいじゃあ座ってー!」と講師に促され、着席。
「みなさん昨日のダンスパーティ楽しかったですね! 昨日からまだそんなに時間経ってないのに、すごく前のことのように思いませんか?」
講師が笑顔で少し踊りながら問いかける。
「ほんとー! 昨日だったんてウソみたい。かなり時間が経った気がする!」
口々に発言する元からいるメンバーたち。
え、もしかして今日も踊るの? 聞いてないんだけど。

思えば、聞いていないことだらけだった。
いや、「だらけ」ではない。はじめからセミナーやこの説明会の中身は一切聞いていなかった。
「どういうことをやるんですか?」
「ただ聞くってことではないんですよね?」
「どういうところがよかったんですか?」
何度か質問はしてみていたが、返ってくるのは決まって
「説明っていうのは難しいんだよね。私もどうしてこんな風になれたかわからないんだけど。でも、このセミナーのおかげなんだよね。不思議としかいいようがないの」
と曖昧な返事だった。
でもそれは仕方がない。だって、その彼女にとってはそうだったんだから。
赤字続きでスタッフは辞める。シェフも辞める。様々なセミナーに行ってもうまくいかなかった彼女にとっては、このセミナーでここまでこれたっていうのは事実だし、「体験してみたらわかる」っていうのも「使ってみたらその違いがわかる」シャンプーのように、使ってみないと体験してみないとわからないことなんて無数にある。
それに、こういうのも人生経験として後に生きてくるかもしれない。 
そう思っている自分もたしかにいた。
しかし、時間が経てば経つほど、まわりがイキイキと発言すればするほど、私は違和感しか感じなくなった。
終盤では、元からいるメンバーがこのセミナーに参加してどう変わったのかを発表していた。
大人が跳ねながら人の前に出る瞬間を、私は初めて見た。
全員が全員、話したくて仕方がない。ぴょんぴょん跳ねながら前に出るのだ。
内心ぎょっとしていたが、みんな素晴らしい成功体験を持っていたことはうらやましいと思った。

会が終わったのち、近くのカフェでお茶をするのが決まりのコースらしい。
私と同じ、新入りの若い女性は帰ってしまった。
私は時間もあったので一緒に向かい、私を誘ってくれた女性と話していた。
「どうだった?」
「うーん。正直、今回のでどうこうっていう感じはないですよね」
率直にそう答えた。
「そうかー。でもセミナーは2日間でトータル20時間みっちりあるから変わるよ!」
「うーん。実際なにをやるかが見えないですよね。ちょっと見方を変えると宗教っぽいじゃないですか」
我ながら結構言えたと思う。
「宗教ではないけどね。自分を変えるというかそんな感じかな。自分が変わったら見える世界も変わるし、私もう映画とかドラマとか見なくなっちゃって! 現実が楽しすぎるから!」
「えー。私、映画もドラマも好きだからそれはすごいですね」

「で、どうする? 申し込む?」
「ちょっと考えようかなと思うんですけど、今日返事しないとダメですか?」
抑止力がかかったのか、止めようとする自分がいた。
「ダメじゃないよ。ただ、申し込むには講師の面談が必要なの」
「え。じゃあ私簡単には来られないから、改めてならまた来ないといけないってことですね」
ここで抑止力が弱まった。
「そうなるね……。どうする? まずは申込書だけもらって読んでみる?」
ここからは一気に申込書を書いて、面談をして、お金を払うところまであっという間だった。
金額は20万超え。
支払うのが早ければ早いほど、効果も出るという。
幸いにして大手銀行が近くにある。
一気にこの額を現金で下ろすなんて初めてだった。
下ろしてそのまま手渡しした。

これで変われる。
入りたい会社に入って、やりたい仕事をして、プライベートも楽しめる。
そんな権利を得た気分でいた。宿泊先のホテルに着くまでは。
魔法にかかったような人たちをたくさん見て、私も少しだけそこに入ったのかもしれない。
Googleでそのセミナーの名前を検索してみる。
参加する前にも探してみたが、賞賛の言葉はたくさん出てくるが批判の言葉は出てこなかった。
これは事前に検索した結果と同じ。
講師の名前で検索してみる。
これは事前には知らなかったことで参加したから知り得たことだった。
そうすると、批判の言葉が少しだけ出てきた。

私はどちらかというと、批判的な言葉から見る方だし、信じる方だ。
よい言葉だけの商品、褒められる箇所しかない人間ってなんかつまらないし。味がない気がする。
もやもやしながら、「まぁいっか勉強になるかも」と言い聞かせてセミナーに申し込んだ自分は果たして本当の自分なのか。
批判的な言葉を見て思い出した。

セミナーを受けて人生変わった。
現実世界が楽しすぎて虚構の世界を求めなくなった。
よいことしか起こらなくなった。
うまくいくことばかりだ。

すばらしい。うらやましい。確かに誰もがそうしたい。
でも、これまでの自分は? どこにいくの?
失敗する自分、批判する自分、映画やドラマが好きな自分。
どれも失くすのは嫌だ。

急いで申込書を読み返した。
キャンセルができることを書いてある箇所を探した。
数日後、地元に帰った私はすぐにキャンセル手続きをしたのだった。

セミナーが悪い・いいではない。
自分を失うのが怖かったのだ。

成功する近道を使う時には自分を失うという代償を支払わなければならない。
いい勉強になったということにしよう。