35歳独身女が次の道にたどりつくまで

35歳独身女が13年勤めた会社を行先も決めずに退職。退職後なにをしていたのか、日々なにを感じてるのか。ただただ書いていくブログです。

喜怒哀楽にないくやしさを残して。

「くやしい」

新卒で13年勤務した会社を、この春退職した。

やめると決めてから退職日まではあっという間にだった。ストレスがたまりにたまってやる気がおこらず、ごはんも食べられなくなり、仕事中に涙をこらえるのが精いっぱい。そんな日々が退職する2カ月ほど前から続いていた。

そう。あれは去年の秋。その週末には社員旅行だっていう、浮かれた週にわたしは行動したのだ。ことの発端はたくさんあった。明らかな人員配置ミス、乱暴な引き継ぎ指示、顧客目線を無視した商品。忙しさでイライラはピークに達していた。わたしだけではない。入って2〜3年の新人たちも疲れていた。そんなところに、「当営業所の多忙感を緩和するためと競合他社対策として、締め切りを翌日昼12時に変更する。そのかわり、従来翌日でも間に合っていた媒体締め切りは今後は当日内でないと間に合わせられない」という決定事項が画面上に表示された。いやいや、待ってくれ。そもそも先週この件は意見聞かれて現場として反対したじゃないか。それが土日と月曜挟んで火曜に決定として下りてくるっていうのはどういうことなんだ。せめて事前に、相談のあったこっちにひと言くれてもよかったのではないか。これまで募ったイライラが頂点に達した。いくらなんでもそれはないだろう、と思った。わかっている。社員は会社に従わなければならない。それは、わかっている。だけれど、この文章ではひとつの営業所の多忙感を緩和するために、全営業所が関わる媒体の締め切りが間に合わなくなるっていうのはちょっとこっちに責任転嫁というか、投げやりというか、いや、ズルくないか?  我慢の限界だった。忙しさとイラ立ち、後輩たちを守らなければという変な正義感。これまで忙しさを工夫と効率で全員でがんばってきた成果と現在ようやっと保ちつつある業務バランスをこうも簡単にぶち壊してくるのか!  という怒り。そして、「あぁそうだった。こういう会社だったよ、うちは」ていう諦め。もう疲れた。いろんな感情が起こって悲しくなった。

「目には目を、歯には歯を」という真っ向勝負な考え方なわたしは、上司を除いたメンバーにこういう気持ちになっているということを示そうと思うがどうだろうか?と意見を求めた。いま考えると、本当に真っ向勝負である。結果は全員が「示してくれていい」ということだったが、ここでわたしはやり方を間違えていた。会社から社内ネットワークを使った文字のみでおりてきた内容に対して、わたしも同じ方法をとったのだ。長い文章を書いたが、気持ちとしては「悲しい」ということを伝えたかった。ただ、はたから見れば、勝ち目のない真っ向勝負に突っ込んでそのまま死んだも同然だった。神風特攻隊にでも憧れたのか。正義感をもって、会社のために、場所のために、後輩のために敵地に頭から突っ込んだわたしはそのまま死んだ。いや、何人かは「よく言った!」とか、「自分も間違ってることは間違ってると意見を言おうと思う」とか、心に響くものはあったらしいが、そんなの一瞬だ。大きな組織はみんな同じがいいはずだ。だから、たいしたこともない意見を言うだけではなんにもならないのだ。いや、書いた当初はこれで変わるかも!  現場の意見、聞いてくれるかも!  なんて思っていたが、そんなことはありえなかった。

そしてわたしは転がり落ちた。沼へとずぶずぶと埋もれていった。この少し前、来期以降やりたい業務や将来やってみたいことを書いて提出した。全社員がキャリア開発としてもう10年ほど前からある制度である。そして、人事の季節。役員から呼ばれたわたしは期待半分、不安半分だった。しかしそこで言われたのは希望とはまったく異なる場所ですでに経験した部署、内容としては「この営業所の方が営業力も提案力もお客さんの質も高い。ミーティングも定期的に質の高いものを行なっているので、勉強してきてはきい」と、これまで営業所を引っ張る立場だったわたしを完全に底辺としている内容だった。信頼できる仲間と上司からわたしだけが異動になり、3年目のはじめての異動のような辞令を受け、自分はもう必要とされていないと思った。

それから1カ月後、新たな営業所で新たな上司、そして上司の上司である役員入りを狙うポジションの人のすぐ近くの席を与えられた。左耳が聞こえにくくなることがあるからと左端にしてほしいという希望は残念ながら叶わず、もっとも右側がわたしの席となり、そこから少し離れた右側には役員の息がかかった役員狙いの人。監視されてる気分だった。それでもなんとか自分らしく働こうと思った。新しい上司から「余計なこと書かないでね」「あの書き込みもあなた?」と、言われるまでは。そこからはもう意見を言うことも、もちろん書こうなんてことも思わなかった。ただ静かに顧客のために、一緒にチームとして動くメンバーのために知恵と経験を使おうと思った。実際にそうして、売り上げや信頼回復につながったケースは3カ月でも5件以上はあった。これでいい。こうしていればまたどこかでチャンスがめぐってくるかもしれない。耐えよう。そんなときだった。「新商品打ち合わせの会議に営業所代表として出席して」と上司の上司で役員狙いの人に言われたのは。意味がわからなかった。なにも言うなと言われてるも同然なわたしに対して、どうしてそんな会議に出席させるのか。「監視しっかりしてますよ、意見しないでしょう?」と役員にごますりたいのか。それとも、「こんな状態だけど、こいつを選ぶ俺。かっこいいと思わなーい?」て言われたいのか。実際、わたしの上司は「よくこいつ選びましたね!」と言ってたから後者なのかもしれない。ここからだ。ちょっとずつ自分の中でなにかがくずれていると感じたのは。だが、手のひらを返したようにわたしの上司は「選んだってことは意見を言ってほしいってことだから、思ったとおりにやればいいよ」と言い、隣の課の課長も「そうだよ!!」と後を押した。だから、そうしてみた。同業他社と比較し、ユーザー導線を考え、顧客にどんなメリットがあるかを考え、必要だと思うことは調べた。それらを元に発言した。結果、会社から提示されたものに対する好意的どったり、ちょっといじれば直るようなことは受け入れられたが、否定的だったり、顧客にどう説明するのか、メリットがわからない、などというマイナス的な意見はわたしだけに限らず受け入れられなかった。そう。そういう会社である。そんな会議に数回参加し、日常業務のかたわら、あれやこれやと考え調べている最中のことだった。上司がコーヒー片手に話しかけてきた。「こないだ所長に言われたんだけどさ。あなたのこと。あいつヒマにさせたらろくなこと考えないからヒマにしないでって。だから今回の会議にも参加させたんだと思うよ」

もうダメだった。くずれかけていたものは全部くずれた。自分の中になにもなくなった。なんだったんだろう。今まで考えてきたこと、調べてきたこと。調べたことをおまえに教えてやったら、やっとわかった!  て言ってたじゃないか。もうどうでもよかった。「そうですか!」と笑顔で返した。

ここから、重度のうつ状態と診断されるまで1カ月。朝は息苦しく歩くスピードも遅い。日中はなんとかふりしぼってノルマ件数電話がけする。昼ごはんはおにぎり1コ食べられない。帰りは泣きながら帰る。夜ごはんも食べられない。昔、近い状態になったことがあるから、うつに近いことはわかっていた。営業所代表で参加していた会議もただ2時間近く、下を向いているだけだった。やばいなぁと思っても治す気が起こらない。痛いのとか苦しいのは嫌だから、寝てる間に死なせてくれと毎日思っていた。

さらにいやなことは続く。隣の課長がわたしの発言を所長やわたしの上司に報告していたのだ。「こんなこと言ってましたよ!」「えー!」なんてことが打ち合わせの場で話されていた。この隣の課の課長は昔一緒に働いたことがあり、会社に対してや新人教育に対して意見を言い合うことはたまにあった。仕事に関してはわたしの方が完全に評価は上だったが、年功序列重視なため、この年から課長になっていた。裏切られたという感覚はなかった。その程度だと思っていた。しかし、わたしから話したのはこういう考えはどうか?  程度でどちらかというと確信的な意見を言わされたのは、その課長に聞かれたことに対してだった。だからもう、裏切られたというより、これもただ悲しかった。しかも、この話は直接聞いたのではない。わたしの上司が隣の席の2年目の社員にこぼして、それがわたしと仲良くしている先輩に届き、そこから聞いたことだった。こんなふうに情報って伝わるんだな、いろんなルートがあるもんだ。人間っていやだな。ため息しか出なかった。

そんな日々をすごしていると、今度は後輩から「紹介事業部から転職サイトに登録してるって言われて、その部署の人が心配してます!  大丈夫ですか?!」という連絡がきた。おうおう。まだくるかい。誘いが重なることもそんなにないのに、負は重なるもんだ。しかし、こうなったら最後。うわさ好きなこのコが知ってるってことはもうかなりの人に知られてるんだろう。わたしが悪い。設定ができていなかった、中身を詳しく書きすぎた。私のミスだ。より泣き虫になったわたしは気づけばぴったりだったパンツのウエストがぶかぶかになるまで痩せていた。ゆったりめな服が多かったので、最後まで心配されずに済んだのは本当によかった。さて、どうするか。もう逃げ場はなかった。挽回しようとかまたチャンスは来るなんてことも思わなかった。わたしは会社をやめることにした。信頼する上司(その当時のじゃなくて)に泣きながら話し、「気持ちを殺してお金だけもらう考えもあるよ」と言われたが、無理だと思った。休職も考えたが、病人扱いされるのも嫌だったし、みんなにかわいそうな目で見られるのも嫌だった。それに、このタイミングでバレたってことは、新しい場へ飛び立つチャンスかもしれないと思った。いや、思うしかなかった。だから、次を決めずにやめた。退職願を書き、上司に涙をこらえながら(実際はこらえられなかったが)伝えた。有給があったので、会社に受理されてからわずか3日後が最終出社日になった。

そして最終出社日当日。ここでも泣くもんかと心に決めていたが、今までのこと、悪い日々ばかりじゃなかったことを思い出した。いいこともあった。たくさんあった。でも、自分は会社に必要なくなってしまった。自分を会社に必要な人間でありつづける術を身につけられなかった。自分の負けだ。くやしい。

でも、がんばった。精いっぱいがんばった。いまの自分にできること、やらなければいけないことはやりきったはずだ。だから、これはやめるんじゃなくって卒業なんだ。そうとらえよう。次は失敗しない。自分と近い心がある場所を探そう。きっと見つかる。

だからわたしは日々アップデートする。あのときの自分に大丈夫と言えるように。次の場所であのときの自分に「ほら、大丈夫だったでしょ?」て言えるように。